いつか自分も認めてもらえる?
今あなたを否定している人達も嫌っている人達も
いつかはあなたを認めてくれる、
あなたが真っ当で立派で良い子良い人になれば認めてくれる、
なんて、それは
嘘です。
それは、あなたを否定する側の甘言であり、罠であり、永遠にあなたを囚えるための嘘です。
あなたを邪魔だと言い、あなたを邪険にする人間にとって、
あなたは永遠に「邪魔な物」か、良くて「都合良く使えるようになった道具」でしかない。
だからあなたが真に目指すべきは、
相手に誰かに「都合のいい人間」になることではなく、
己の信念を貫き通す人間になることです。
自分のために、生きてください。
歳を喰ってわかったこと
歳を喰ってわかったこと、
この世のあらゆるモノが いかに儚く繊細か。
逆に言えば、
若い人間に、古くから日常にあるものの価値をわかれ言っても、それは無理だということ。
何故なら、壊れ、消え、失ってから、やっと、それが持っていた力や美しさや必要性を実感できるから。
若いうちからそんなものを理解しろといっても無理なのだ。
貴方が若いころ、それをちっとも理解できなかったように。
最近は
全然書いていなかったのを思い出した。(笑
日本にいる全ての教師へ
この世にあるすべての物事・出来事を、
あなたがどう感じ、どう解釈するかは、完全にあなたの自由である。
物事を、歴史を、人間を、思想を、自然を、
あなたはあなたの見た通り、感じた通りに解釈すれば良い。
それはあなたが持つ権利であり、人権であり、尊厳である。
しかし、もし、
あなたが感じ、あなたが解釈したことを、
自分と同じように理解・解釈させようと、子供に、生徒に、
強要しようとしたり、洗脳しようとしたり、
それ以外を見せないようにしたり、否定・拒絶するように誘導したりしたならば、
あんたは、子どもや生徒に対し、精神的レイプを行った犯罪者である。
昭和45年大阪生まれの人間にとっての日本
子供の頃、私は学校の先生の言うことを本気で信じた。
疑う時もあったけど、疑問に思う時もあったけど、
だけど最終的には先生の言う事を絶対として本気で信じた。
そういう時、私が常に心に思う気持ちはこうだ。
「おかしい。・・・・おかしいと思うけれど、でもきっと正しいのは大人(先生・親)で、
私の感じてる違和感は全て間違いなんだろう。」
だから先生の言う通り、私は日本を憎み日本を嫌悪し、日本を侮蔑し日本を嘲笑い日本を見下し、日本の全てを差別した。
学校での教えが正義であり、教科書こそが絶対の真実であると、私は本気で信じきった。
30歳後半も過ぎてから、それがあまりにも悲しく酷く歪んだ、大きな大きな間違いだったと気付いた。
そして、そのいくつかは、気付くには手遅れだった。
だから今後の残りの人生は、
自分が生まれたこの地を愛し、この国を愛し、私を今の世界に生かせてくれた奇跡を愛し、
私の躰に流れるこの血を愛し、このアイデンティティを愛し、
今の時代まで生かせてくれた、私の中にある遺伝子と歴史を愛し続けることに捧げます。
ドメインの更新
ドメインの更新を忘れていて、
気が付いたらサイトが見れなくなっていて驚いた。(笑
いい加減、自動更新にするべきか。
あなたは自分が嫌いだと思うものを堂々と嫌いになって良い。
あなたが嫌いだと感じるものを、あなたは堂々と嫌いになって良い。
好きと嫌いという直感・感情は本能から生まれるものであり、
あなたが生きた、人生経験の中から生まれるものなのだ。
そのあなたの直感は、あなた自身のものであり、
誰かにとやかく言わせていいものではない。
あなたが何を好きで、何を嫌いか、それを他人が無理矢理押し付け決めることは
あなたの人生の全否定であり、あなた自身の存在の否定である。
あなたはそんなものを一切受け入れる必要など無い。
嫌いだから何をしても良い、という意味では、決して無い。
他人にも人権と尊厳がある。
そして当然、あなたにも同等の、人権と尊厳がある。
もし、あなたが他人から押し付けられた何かを、いらない!大嫌いだ!と拒絶したからといって、
そういうあなたをレイシストだの、差別主義者だのと曰う輩がいたなら、
そいつこそが真のレイシストであり、真の差別主義者である。
何故なら、そいつはあなたの直感、感情、人生経験による判断の存在を否定するのだから。
しかも圧力をかけて、潰そうとしているのだから。
あなたは、あなたが嫌いだと感じるものを、嫌う権利がある。
そこには、嫌う原因が、必ずあるのだから。
何を好きで、何を嫌いか、それこそはあなたが生きてきた証明そのものなのだから。
一番危険なのは「教師の思想・人格」
一番危険なのは「教師の思想・人格」
特に小学校・中学校の担任。
国旗国歌が悪いんだと必死に叫ぶ教師に問いたいが、
実際、戦中に直接幼子たちに子供たちに手を下したのは誰かと、命令し吹き込み叩き込んだのは誰かと、
それは「教師」じゃないのかと。
謝罪しろと大騒ぎするのなら、
一番真っ先に謝罪すべきは、あんた方じゃないのかと。
しかし私は一度足りとも聞いたことがない。
教師が謝罪したという話を。
それがなぜ今、被害者面をしているのか?
あなた方は戦後も何の反省もなく、
何ら反省せず変わろうとせず、
相変わらず生徒を己に都合良い政争の具として、命令し吹きこみ叩き込み、
全生徒の人生全てを、己個人の正当性を見せかける道具として利用しているのだ。
私の中に在り続けた、何か
学校の先生が
私の中の一部を
私の身体の 基本的な一部を 消そうとしたのだ
それはいらないものだから 醜く汚いものだから 削り落とせ 切り落とせ 捨てろと 言われたのだ
そして こうやって切り落とすのですと 先生が言うので
私は他の幼い子供がそうであるように
いい子になろうと 先生の言うことを聞くいい子であろうとして
言われるまま 自分の手で 私の多くのものを切り落とした
その後も 学校で テレビで 社会で 周りの誰かから たくさん否定され たくさん罵られ
たくさんの たくさんの
赤の他人が指し示す 「私の中の悪いもの」 を切り落とし、捨てていった
私は 自分の中の多くのものを切り落として 切り落として 切り落として
立派な人間になるはずが ・・・・・ならなかった
私は私を 自分で思い通りに動かすこともできない 木偶(でく)になった
自分で何も決められず 自分で何も判断が出来ず 何もかも自分で行動できない
ただの木偶となった
まともに生きていくことすら困難になった
日々、会社に行き、仕事はすれど
頭の中、心、精神は ボロボロと崩壊していくのが自分で分かった。
だけど それでも
残っているものがあったのだ
幼い頃から 完全に切り落とし 無くそう無くそうと 削って削って削り落とそうとし続けていながら
それでも、
私の中に 残っているものがあったのだ
それは、どれだけ否定され 罵られ 見下され 嘲笑われ 嫌悪され続けても
私の中に ひっそりとあり続け 私を私たらしめ 私の根底から
私を支え生かし続けているものがあったのだ
私は
その 私の根底に残り続け 私の中にあり続けた 私の感性そのものに直結する
血管の中を流れ 私の心を 心臓を 五臓六腑を 強く 絞るように 揺さぶり続ける
何か を
表現したいのだ
教師が削り落とせと命令し続け
それに従順に従い私自身が9年間 自ら削り落とし、切り落とし、見下し、捨て続けていながら
それでも、私の中に残り 私を根底から生かし続けてきた
何か
血・遺伝子・歴史・生命・土・空気・水・湿度・緑・山・海・川
激しく心を揺さぶる何か
それを形にしたいのだ
脱原発だとか反原発だとか
脱原発だとか反原発だとか、
それはそれで良いのだが、
だが、それを声高に訴えるために、
今まで原発で電気を生み出してきた土地と人間を叩くというのは、私は全く納得がいかない。
私は今まで電気を生み出してきた土地の人間に心から本気で感謝したいし、
何より、東京の電力を支えてきたということは、
それは日本の中枢を支え、生かしてきたということで、
つまりは、何十年も日本全体を支えてきたということだ。
それに感謝しないというのはどういうことなのか。
汚く見える部分だけ掘り出してヤイノヤイノと群れて罵れば、
自分たちが長年、その電力の恩恵に与ってきた「罪」が消えるというのか。
日本人はそんなに馬鹿で無能で思慮の足りない人間になり果てたか?
私はそうではないと思うが、
やたらと声高に叫ぶ人間ほど、馬鹿で考え無しであることが多いので、
そういう自己の責任をかえりみない馬鹿ばかりが目立つ。
自分たちが使ってきた電気が、原発で作られていることを、
日本に住む人間なら、誰だってよく知っている。
小学生だって知っている。学校で習うからだ。
知っていて、使い続けてきたのだ。
その原発をいま、「罪悪、罪、汚れ」とするならば、
知っていて使い続けた私も、あなたも、
反原発を叫ぶ人間も、同等の「罪悪、罪、汚れ」がある。
よく知っていて、それを金で買って、存分に使ってきたのだ。自分の生活を楽で幸せなものにする為に。
それを、適当な誰かを罵り叩いたからといって、その「罪」が消えるわけではない。
特に過剰に叩いている人間は、
まるで、原発のある県の人間を「スケープゴート(生け贄・人柱)」にして集団で容赦無く残酷に叩けば、
自分の犯し続けてきた「罪悪、罪、汚れ」が全部無かった事になるとでも思い込んでいる節がある。
もしくは、有耶無耶になり、誤魔化されるとでも、思っているか?
他人の罪を責めたって、自分の罪は消えない。
罪を犯さなかった事にはならない。
いくら誰かを大声で非難した所で、
自分が知っていながら使い続けていた事実は、消えない。